グラミー賞を2度受賞し、ザ・ルーツやアンジェリーク・キジョーらとも共演してきたジャズ・ボーカリスト、カサンドラ・ウィルソン(Cassandra Wilson)が9月2日に死去した。70歳だった。マネージャーのロバート・トーレはニュージャージー州のラジオ局WBGOに対し、ウィルソンは「家族、親しい友人、そしてマネージャーに見守られながら、自宅で安らかに息を引き取った」と明かしたが、死因については言及しなかった。
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名曲に新たな響きを与える
ウィルソンの人生には、幼い頃から常に音楽があった。1955年12月4日、ミシシッピ州ジャクソンで、ジャズ・ギタリストの父ハーマン・B・フォークスと小学校教師の母のもとに生まれた。公式サイトによれば、6歳でピアノ、12歳でギターを弾き始め、10代後半にはプロとして歌っていたという。ジャクソン州立大学でマスコミュニケーションの学位を取得し、20代になるとジャズを歌い始めた。
1982年、当時の夫アンソニー・ウィルソンとともにニューヨークへ移住。アンソニーはかつてWBGOで週末のアナウンサーを務めていたこともある。その後、サックス奏者スティーヴ・コールマンとM-Base Collectiveを共同で立ち上げ、これを足がかりに全米へと活動の場を広げていった。
「スティーヴ・コールマンから、ひとつの楽曲をいったん解体して、ありきたりなアプローチから離れる方法を学びました」と、ウィルソンは2001年に『Time』誌で語っている。「リズムのサイクルについて学び、コードではなく、リズムの中にある合図を聴き取れるようになりました。それから、リズムが幾層にも重なるさまを聴き取ることも学びました。それまではコードや、一般的なA-A-B-A構成の曲ばかり勉強していたんです。でもスティーヴと出会ってからは、好きなときにスタンダード曲へ戻って、以前なら想像もできなかったほど、さまざまなことができるようになりました」
1986年にソロ・デビュー・アルバム『Point of View』を発表。自身が単独または共作で手がけた楽曲とともに、マイルス・デイヴィスの「Blue in Green」や、ビリー・ホリデイの歌唱で広く知られる「I Wished on the Moon」を取り上げた。『Jumpworld』(1990年)では、『The Rolling Stone Jazz & Blues Album Guide』が「ハーモロディックなジャズ・ファンク」と形容したサウンドを探求。『She Who Weeps』(1991年)ではさらに深い即興表現へと踏み込み、胸を揺さぶる「Body and Soul」のカバーも収録した。
大きな転機となったのが、1992年のアルバム『Blue Light ’til Dawn』だった。歌声を支える音としてアコースティックなサウンドを求め、アレンジを極限までそぎ落としたブルーノート・レコードからのデビュー作だ。ウィルソン自身のオリジナル曲に加え、ヴァン・モリソン、ジョニ・ミッチェル、アン・ピーブルズの楽曲も取り上げた。1995年の『New Moon Daughter』でもこの路線をさらに推し進め、「Little Warm Death」や「Solomon Song」といった秀逸なオリジナル曲の間に、ニール・ヤング、U2、ハンク・ウィリアムズ、モンキーズの楽曲のカバーを織り交ぜた。
「音楽的にどの道を進むのかは、これからも自分自身で選び続けます」と、ウィルソンは1994年に『The New York Times』へ語っている。「有名になりたいとか、大金を稼ぎたいとか、そういったポップの世界にありがちな動機で決めているわけではありません」
