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玩具販売大手の「トイザらス」が日本での店舗運営から撤退する。ディスカウントストア「ドン・キホーテ」を展開するパン・パシフィック・インターナショナルホールディングス(PPIH)が、国内約150店舗を引き継ぐ見通しだ。
1991年の日本1号店開業から35年。トイザらスは日本の玩具市場を席巻しただけでなく、大型店規制を揺さぶり日本型の流通構造にも風穴を開けた。当時「黒船」と呼ばれたのも、そのためだ。
その黒船が35年後、日本生まれのディスカウンターの軍門に下る。トイザらスが日本で歩んだ35年を振り返ると、日本の流通業がたどった大きな変化が浮かび上がる。
ブッシュ米大統領も駆けつけた「黒船」
トイザらスが日本に上陸した1991年、日本の流通政策は大きな転換期を迎えていた。当時、大型店の出店を規制した大規模小売店舗法(大店法)は、店舗面積や開店日、閉店時刻、休業日などを調整し、地元の中小小売業者への影響にも目を配った。大型店を簡単には出せず、この規制を逆手に取った店舗フォーマットも生まれた。
1980年代から1990年代、地方の幹線道路沿いには売り場を小さく抑えた専門店が相次いで登場した。玩具ではチヨダが展開した「ハローマック」などが代表格だ。1985年に1号店を出したハローマックは最盛期に472店まで増えた。ピンク色の城を思わせる店舗に玩具をそろえ、町のおもちゃ屋とは異なる「遊べるおもちゃ屋」として子どもたちを引き付けた。
そこへ桁違いの売り場を引っ提げたトイザらスが乗り込んできた。1989年、米トイザらスと日本マクドナルドが合弁で日本トイザらスを設立し、日本マクドナルドを育てた藤田田氏が日本進出を後押しした。1991年12月に茨城県で国内1号店の荒川沖店を開き、翌1992年1月には奈良県橿原市に2号店を出した。
橿原店のオープニングは、日本の流通史を象徴する光景となった。来日中だったジョージ・H・W・ブッシュ米大統領がバーバラ夫人と店を訪れ、トイザらス創業者のチャールズ・ラザラス氏、渡部恒三通商産業相、子ども2人と並んでテープカットした。藤田田氏も出迎えた。現職の米大統領が外国に進出した玩具店の開業に駆けつけるなど、今ではなかなか想像できない。
背景には日米貿易摩擦があった。日米構造協議では日本市場の閉鎖性が俎上(そじょう)に載り、米国側は大店法も市場参入を阻む規制として問題視した。トイザらスの日本進出は一企業の海外展開にとどまらず、日本市場の開放を迫る米国の要求を象徴した。米大統領が橿原まで足を運んだ光景は、トイザらスが背負った政治的、経済的な意味を映していた。
