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    「あの人」の引き際――先人はそのとき何を思った

    栗下 直也

    栗下 直也
    経済記者

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    2026.10.1(木)

    宇野千代=1984撮影(写真:共同通信社)

     9月28日から始まったNHKの連続テレビ小説『ブラッサム』は、作家・宇野千代をモデルにしている。明治30年に岩国で生まれ、平成8年に98歳で亡くなるまで、千代は最後まで現役の作家だった。死の半年前に出た生前最後の単行本の題名は『私何だか死なないような気がするんですよ』である。この連載の題目である「引き際」を彼女の仕事に探しても見つからない。

     だが千代には、引き際の名手と呼ぶべき一面があった。男との別れ方である。相手は作家の尾崎士郎、画家の東郷青児、作家の北原武夫。3人との別れに彼女がどう向き合ったか、たどってみたい。

    同じ唄を、同じ節回しで

     千代が尾崎士郎と出会ったのは大正11年の暮れ、25歳のときである。千代が一等、尾崎が二等になった『時事新報』の懸賞小説が縁だった。千代には札幌に夫がいた。まだ姦通罪のある時代で、新聞は2人の仲を姦通事件として書き立てたが、千代は夫と協議離婚し、大正13年に尾崎と正式に夫婦になった。当時は千代のほうが売れており、家計を支えていたのは彼女だった。

    作家の尾崎士郎=1950年撮影(写真:共同通信社)

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     尾崎との暮らしは馬込文士村にあった。やがて尾崎の新聞小説が当たり、大枚の原稿料が入るようになると、彼は毎晩のように仲間を引き連れて銀座へ出かけるようになる。その酒席から、千代ひとりが外された。銀座のバーの、まだ子供のように若い娘が尾崎の相手になり、娘の両親の前で式まで挙げていたことを千代だけが知らなかった。

     昭和3年から4年にかけての頃、大森海岸の蟹料理屋「沢田屋」に珍しく千代も誘われた。行ってみると尾崎の横に若い娘が座っている。それでも気を悪くはしなかったと千代は書く。酒が回って唄になり、尾崎がいつものように目を閉じ、首を振って唄い始めると、娘がそっくり同じ仕草で、同じ唄を唱った。

    「私はそのとき、凡てのことを理解した」

     千代はこの場面を、相手を問い詰める修羅場としては書いていない。同じ唄、同じ仕草で、2人の関係の終わりを悟ったと振り返るだけである。

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