格闘ゲームの金字塔として、世界的な人気を誇る『ストリートファイター』シリーズ。しかし、これまでの実写映画化については、決して恵まれてきたとは言い難いでしょう。
1994年のジャン=クロード・ヴァン・ダム主演「ストリートファイター」、そして2009年の「ストリートファイター ザ・レジェンド・オブ・チュンリー」は、いずれも原作ゲームのファンから厳しい評価を受けた作品でした。もっとも、1994年版は興行的には一定の成功を収めており、現在もカルト映画として愛されているため、単純に失敗作と片づけられるわけではありません。それでも、ゲームの実写化における成功例として積極的に語られる機会は少ないでしょう。
そもそも、格闘ゲームの実写映画化は、意外なほど数が少ないのです。『鉄拳』は2010年に実写映画化され、2014年にはその前日譚にあたる、ケイン・コスギ主演の「鉄拳 Kazuya’s Revenge」も制作されました。ほかにも「DOA/デッド・オア・アライブ」(2006)や、ひっそりと映画化された「ザ・キング・オブ・ファイターズ」(2010)などがありますが、いずれも大きな成功を収めたとは言い難く、どうしてもB級アングラ・アクション映画の香りが漂ってしまいます。
一方、『バーチャファイター』についても、過去に実写映画化の企画が浮上したことがありました。近年はNetflixとセガの協力関係も注目されているだけに、将来的に実現する可能性も考えられますが、現時点では具体的な映画化が決定しているわけではありません。
こうして振り返ってみると、格闘ゲームの実写映画化で比較的成功した作品として挙げられるのは、1995年版と2021年版の「モータルコンバット」ぐらいではないでしょうか。もっとも、両作とも批評的な評価が突出して高かったわけではなく、商業的成功と作品としての完成度は分けて考える必要があります。
では、なぜ格闘ゲームは実写映画化との相性が悪いのでしょうか……。
その理由のひとつは、格闘ゲームの魅力が、必ずしもストーリーそのものにあるわけではないことです。個性的なキャラクター、必殺技、対戦時の駆け引き、そしてプレイヤー自身が操作することによって得られる興奮。これらはゲームだからこそ成立する要素であり、映画に置き換えた途端、その魅力を十分に再現できなくなることもあります。
さらに、人気キャラクターをできるだけ多く登場させようとすると、それぞれの見せ場を用意する必要が生じ、物語が散漫になりやすくなります。今回の「ストリートファイター」も、まさにそうした問題を抱えた作品となっていました。
本記事では、吹替版の試写の内容を基に、「ストリートファイター/ザ・ムービー」のGame*Sparkレビューをお届けします。制作にあたっては東和ピクチャーズより招待されています。
1994年版から30年以上、実写版は何を変えてきたのか?
今回の映画を語るうえで、まず振り返っておきたいのが、過去の実写映画が原作ゲームに対してどのようなアプローチを取ってきたのかという点です。
1994年版は、ヴァン・ダム演じるガイルを主人公に据え、ベガ率いる軍事組織との戦いを描くアクション映画として再構成されていました。リュウやケンも登場するものの、あくまで群像劇の一部であり、ゲームにおける中心人物としての扱いとは異なっていました。
また、同作の設定をベースに制作されたアニメシリーズ「ストリートファイターUSA」では、ガイルを中心とするヒーローチームの活躍が描かれ、リュウやケンをはじめとするキャラクターたちにも、それぞれの役割が与えられていました。
このアニメは、実写映画の世界観を引き継ぎながら、ゲームならではの荒唐無稽な設定やキャラクターを積極的に取り込んでいたという点で興味深い作品です。実写では表現しにくい必殺技や超人的なアクションも、アニメーションという手法によって成立させることができたのでしょう。
その後、2009年の「ストリートファイター ザ・レジェンド・オブ・チュンリー」では春麗を主人公に据え、比較的現実的な犯罪アクション映画へと方向転換しています。
つまり、これまでのハリウッド製実写映画は、ゲームの荒唐無稽な世界観をそのまま映像化するのではなく、映画として成立させるために、設定やキャラクターデザインを大幅に変更してきたのです。リアリティラインを追求するあまり、ゲーム特有の奇抜なデザインは避けられる傾向にありました。
しかし、その方向性は今回、大きく転換することになります。
一周回って、ゲームのデザインに戻ってきた
今回の実写版で最も特徴的なのは、キャラクターのビジュアルが、これまで以上にゲーム版へ忠実になっていることです。
ガイルの逆立った髪型をはじめ、登場人物たちの外見は、ゲームのキャラクターをそのまま現実世界へ連れてきたような仕上がりです。個々の配役も非常に魅力的で、これ以上の適任はいないのではないかと思えるほど、キャスティングには力が入っています。原作ファンであれば、キャラクターが登場するだけで思わず笑ってしまうような、ある種の出オチ的な面白さがあります。
しかし、せっかくのキャスティングも、結局は外見の再現度を楽しむだけで終わってしまっています。物語において必ずしも必要とは思えないキャラクターまで、それぞれに見せ場を与えようとするため、全体が必要以上にゴチャゴチャしているのです。
ある程度、原作キャラクターの知識があれば理解できる展開もありますが、まったく予備知識のない観客にとっては、行動原理すらわからない人物も少なくありません。
しかも、外見が忠実だからといって、キャラクターの内面や設定まで忠実というわけではありません。
例えば、ジェイソン・モモア演じるブランカ。1994年版では、チャーリー、すなわち日本版ゲームにおけるナッシュが人体実験によって改造された姿として登場していました。今回はシャドルーに捕獲され、実験の対象となっているという設定が採用されていますが、いずれにしてもゲーム版の設定をそのまま再現したものではありません。
ガイルについても同様です。外見こそゲームそのものですが、言動にはかなり独特なアレンジが加えられています。
例えば、バルログを見て「セクシーな男」と表現して過剰に反応したり、ダンを怒鳴りつける場面では、キスでもするのではないかというほど顔を近づけたりします。これにはダン自身も戸惑っており、ガイルのキャラクターに、どこかクィア的なニュアンスを持たせているようにも見えます(もしかしたら吹替版の独自要素かもしれません)。
もちろん、これだけで性的指向を断定することはできませんが、少なくとも従来のガイル像とは異なる、ユーモラスな人物として描かれていることは確かです。
そして、ベガに至っては、もはや威厳ある悪の総帥というより、サイコパワーどうこうではなく、いちいち白目をむくような大げさな表情や、変態的とすら感じられる振る舞いが強調されています。1994年版にもマヌケな部分はありましたが、今回ほど突き抜けた描写ではありませんでした。
こうしたキャラクターの改変を見ていると、今回の映画が目指しているのは、原作の世界観を忠実に再現することではなく、ゲームのキャラクターを使った一種のコントなのではないかと思えてきます。
ただし、ここで問題になるのは、外見だけゲームに忠実であれば、それで原作を再現したことになるのかという点です。
実写映画としてのリアリティを優先し、主要キャラクターのデザインそのものを変更しました。一方、今回はゲームの外見を忠実に再現する代わりに、キャラクターの性格や設定を大胆に変更しています。
つまり、両者は正反対のアプローチを取っているように見えて、結局のところ、どちらも原作を大幅に改変していることに変わりはないのです。
とはいえ、すべてが失敗しているわけではありません。なかでも、ダンが予想以上の活躍を見せることは、本作における数少ない好印象な要素のひとつでした。
リュウとケンを中心に据えた試みは、ハリウッド製劇場実写映画として初
今回の映画が過去の実写版と大きく異なるのは、リュウとケンを物語の中心に据えていることです。これまでゲームの顔ともいえるリュウとケンの関係が、ハリウッド製劇場映画で本格的に描かれる機会はありませんでした。
もっとも、2014年にはウェブシリーズとして制作され、一部の国で編集版が限定公開された「ストリートファイター 暗殺拳」が存在します。同作では、リュウとケンの修行時代や師匠との関係が掘り下げられており、ゲームの設定を尊重した実写作品として一定の評価を得ていました。
今回の映画では、そうしたリュウとケンの関係に加えて、「殺意の波動」が物語の重要な要素として取り込まれています。
殺意の波動は、単なる必殺技や超人的な能力ではなく、リュウ自身の精神性や、強さを追い求めることの危険性にも関わる重要な設定です。それを中心に据えることは、格闘ゲームの実写映画化において、キャラクターの内面的な葛藤を描くという意味でも興味深い試みといえるでしょう。
また、ケンが豪鬼との戦いにおいて大きな役割を果たす展開も、若干「ストリートファイターUSA」を意識しているように感じられました。
もちろん、直接的なオマージュなのかどうかは定かではありません。しかし、1994年版の実写映画と、その派生作品であるアニメシリーズを知っている観客にとっては、両者の共通点を見いだすこともできる場面もあり、94年版をかなり意識しているのが随所から伝わってきました。
脚本に難あり。「踊る大捜査線」じゃないんだから。
本作における最大の問題は、キャラクター設定の変更以上に、脚本そのものにあります。
リュウとケンを中心に据えながらも、春麗やガイル、シャドルーに関係する人物たちのエピソードが次々と挿入されていくため、物語の焦点が定まりません。
春麗については、父親をベガに殺害され、その復讐を胸にインターポールの捜査官として活動するという、シリーズでもおなじみの設定が踏襲されています。しかし、その扱い方がかなり雑なのです。
復讐という明確な動機がありながら、行動には隙が多く、物語を進めるためというより、むしろ映画の尺を引き延ばすために、わざわざ回りくどい行動を取っているようにすら見えます。
ほかの登場人物についても同様で、それぞれが何かしらの目的を持って動いているはずなのに、肝心のストーリーがなかなか進みません。
一つひとつの場面には、それなりに面白い部分もあります。キャラクター同士の掛け合いや、ゲームを知っているからこそ笑える小ネタも多く、リュウが鳩で出汁を取ったラーメンを作っているという、意味不明な描写まで登場します。
こうした場面を単独で見れば、悪ふざけとして楽しめないわけではありません。しかし、それらが一本の映画として有機的につながっているかというと、かなり疑問が残ります。
例に挙げて申し訳ありませんが、現在公開中の「踊る大捜査線 N.E.W. メトロポリスを駆け抜けろ!」を思い出させるような、やりたいエピソードをとにかく寄せ集め、無理やりつなぎ合わせたような力技が感じられるのです。本広克行が監督していたとしても驚かないほど、場面ごとの面白さが優先され、作品全体のリズムが犠牲になっています。
しかも、これだけ多くのエピソードを盛り込んでいるにもかかわらず、ストーリーは驚くほど進みません。ようやくここからが本番だと思ったところで、まさかの終了を迎えてしまいます。
この感覚は、2009年の「DRAGONBALL EVOLUTION」にも通じるものがあります。原作の有名なキャラクターや設定を登場させながら、それらを十分に活用できず、物語が本格的に動き出す前に終わってしまうのです。
続編を前提にした構成なのかもしれませんが、少なくとも一本の映画として観た場合、あまりにも消化不良です。
アニメーションによる回想シーンは、実写化の限界を示している?
本作では、回想シーンの一部がアニメーションで表現されています。この演出自体は事前に明らかにされていたものの、実際に観ると、予想していた以上にアニメーションの場面が多いことに驚かされます。
実写映画のなかにアニメーションを組み込むこと自体は、決して珍しい手法ではありません。表現の幅を広げたり、実写では描きにくい出来事を視覚化したりするうえで、有効な演出になる場合もあります。
しかし、今回のアニメーションは、劇場映画としての映像的な完成度を追求したものというより、ゲームの特典映像や、ストーリーモードの補足ムービーを見せられているような印象が強いのです。
もちろん、ゲーム的な表現を意図的に取り入れた可能性もありますが、それが映画全体の演出と十分に調和しているかというと疑問が残ります。
とくに気になったのは、サガットや剛拳といったキャラクターが、アニメーションによって処理されていることです。
これでは、彼らを実写で登場させるためのキャスティングや特殊メイク、CGなどの制作上の負担を避けるために、アニメーションを利用したのではないかと勘繰りたくもなります。
もちろん、実際の制作意図は不明であり、単純に予算の問題だったと断定することはできません。しかし、ゲームの世界観を実写で再現することを大きな売りにしている作品だからこそ、重要な設定や人物をアニメーションに委ねてしまうことには、どこか矛盾も感じられます。
結果として、実写映画を観ているのか、ゲームのストーリーモードを鑑賞しているのか、よくわからなくなる瞬間があるのです。
これ……続編に着手できるの?
結局のところ、今回の「ストリートファイター」は、映画としてはポンコツでも、おバカ映画として観れば、それなりに楽しめる作品ではあります。「バッド・トリップ どっきり横断の旅」の監督だと知れば、納得できるかもしれません。
とはいえ、ゲームのキャラクターが、そのままの姿で実写の世界に登場するというだけでも、一定の面白さはありますし、原作を知っている観客であれば、細かな小ネタやキャラクター同士のやり取りに笑ってしまう場面も少なくないでしょう。
ただし、それは映画として面白いということとは、必ずしも同じではありません。
本作は、キャラクターを登場させること自体が目的になってしまい、そのキャラクターたちを使って何を描くのかという部分が、著しく弱いのです。
1994年版は、ゲームを映画として成立させようとするあまり、原作から大きく離れてしまいました。一方、今回の作品は、ゲームの外見を忠実に再現することにこだわるあまり、映画としての完成度が置き去りにされています。
その意味では、両者は対照的でありながら、同じ問題を抱えているともいえるでしょう。
しかも今回は、物語が本格的に動き出すところで終了してしまうため、続編が制作されなければ、一本の作品として中途半端な印象だけが残ってしまいます。続編が作られれば、この問題は解消されるかもしれませんが、急ピッチで制作してもらわなければフォローしきれないでしょう。
もちろん、原作のファンにとっては、まだ登場していないキャラクターがどのような姿で実写化されるのかという楽しみもあります。しかし、それだけでは、結局のところ、次から次へと登場するキャラクターの出オチを楽しむ映画になってしまいます。
ゲームへの忠実さを売りにしながら、キャラクターの設定は大胆に変更され、ストーリーもまとまりを欠いています。そんなアンバランスさこそが、今回の「ストリートファイター」という映画の最大の特徴なのかもしれません。
格闘ゲームの実写映画化が難しいことは、これまでの歴史が証明してきました。しかし、その問題を乗り越えるために必要なのは、ゲームのキャラクターをどれだけ忠実に再現するかということではなく、彼らを使って一本の映画として何を描くのかという、もっと基本的な部分なのではないでしょうか。
今回の作品は、ゲームのビジュアルを再現するという意味では、一つの到達点といえるのかもしれません。しかし、映画としては、むしろ振り出しに戻ってしまったように感じられます。一周回ってゲームに戻ってきたものの、肝心の映画としては、まったく前進していなかったのですから。
ちなみに今回は、吹替版をもとにしたレビューとなっていますが、「ビーストウォーズ 超生命体トランスフォーマー」のように、吹替版ならではのおふざけバージョンの可能性もあるため、字幕版は印象が異なるかもしれません。そこに期待をかけて、公開後にもう一度チャレンジしてみようと思います。
Game*Spark レビュー 「ストリートファイター/ザ・ムービー」 Movie 2026年10月16日公開 ビジュアルの解像度と脚本の解像度は比例していなかった、大珍作 GOOD 所々のエピソードはおもしろく、「ストリートファイターUSA」のように適度にポンコツなリュウに好感が持てるゲームの技名をいちいち喋ってくれるのが嬉しいキャスティングは間違いなく完璧 BAD 脚本が崩壊している尺稼ぎなのか、キャラの行動がやたら回りくどいベガが変態キャラになりすぎている。エスカルゴを殻ごとガリガリガリ……
