「これまでに数百人とフランス料理の会食を重ねた」という食の達人であり著名フーディー、レストラン紹介メディア「タケマシュラン」主宰のタケマシュラン氏。食べログフォロワー数は2万人に迫り、紹介した店は「即日予約が取れなくなる」とも言われるほどの、恐るべき影響力を持つグルメインフルエンサーだ。
料理のおいしさのみならず店の雰囲気、サービス、哲学などをオールラウンドに見る氏の辛口グルメレビューは絶妙なユーモアと皮肉にくるんだ容赦ない舌鋒に定評があり、絶大なファン層の厚さを誇る。
Forbes JAPANでは、書き下ろし寄稿で氏の「食」に関する哲学思想を紹介していく。
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グルメ系SNS投稿は5割以上が案件か 食通が見た『食評価のディープフェイク』
祭りの後に飛び火した「10年修業」論争
2026年8月、東京都港区で開かれた麻布十番納涼まつりにおいて集団食中毒が発生しました。原因となったのは、格闘家から料理人に転身した人物が営む店の「冷やし蟹ラーメン」。港区保健所の調査により、患者や調理従事者からサルモネラ属菌が検出され、1歳から61歳までの男女78人が下痢や腹痛、発熱などの症状を訴え、このうち3人が一時入院する事態となりました。店舗は食品衛生法に基づき7日間の営業停止処分を受け、その後も休業を続けたのち、最終的に店主は閉店を表明しています(人数や経緯は、本稿執筆時点の報道に基づくものです。行政処分の根拠となった当初の被害者数は78人ですが、その後の続報では認定患者数が138人まで拡大したとする報道もあり、今後さらに変動する可能性があります)。
これ自体は飲食店としての基礎的な衛生管理の欠如が招いた痛ましい事件です。しかしここで、話は意外な方向へ飛び火しました。ある著名な実業家が以前から主張していた、「鮨職人になるのに10年の修業は不要であり、センスのある人間が無駄に時間を費やすのは社会の損失だ」という持論が、SNS上で再び槍玉に挙げられたのです。今回の食中毒事件と結びつける形で、「ほら見たことか、やはり修業をすっ飛ばすとこうなる」「あの理論が間違っていた証拠だ」といった論調の投稿が、一部で盛り上がりを見せました。
飲食店を開業するには、本当に10年という歳月の修業が必要なのでしょうか。今回は、この古くて新しい論争について、私なりに整理してみたいと思います。
食中毒事件と、「10年論争」は無関係
まず、はっきりさせておかねばならないのは、今回の事故を「10年修業しなかったから」と片付けるのは問題の本質を完全に見誤っているということです。
今回露呈したのは修業不足ではなく、食の安全に対する初歩的な知識と、プロとしての最低限の職業倫理の欠落です。「真夏の炎天下の屋台で冷たいカニ出汁ラーメンを出す危険性」を理解するのに、10年の下積みなど不要です。食品衛生の教科書を数時間読みこめば論理的に回避できることであり、提供を決断したこと自体がモラルの破綻を示しています。
食品を安全に提供するための知識は、何年もかけて体で覚える職人技ではありません。現在、飲食店には「HACCP(ハサップ)」という科学的な衛生管理が義務付けられています。もし衛生管理ひとつ身につけるのに10年必要なら、素人のアルバイトが初日から厨房に立つ日本の飲食業界はとうに崩壊しているでしょう。
このように、本質的な安全管理の不在を棚に上げ、今回の事件を根拠に「やはり下積みをサボったツケだ」と論点をすり替えるのは、的外れどころか問題の矮小化に他なりません。料理人の腕前や接客の巧拙と、最低限の衛生ルールは全く別次元の話だからです。
では、この事件とは切り離した上で、改めて「飲食店を開業するのに10年の修業は不要であり、無駄である」という主張そのものは、果たして正しいのでしょうか。
