なぜ大西直宏は皐月賞もダービーも18番だったのか 自分で回した抽選機 324分の1 #Shorts
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騎手、大西直宏。1997年の皐月賞。サニーブライアンの抽選で、大外18番が出てくれと祈って回すと、18番の玉が出ました。11番人気で逃げ切り。ダービーの抽選でも、18、来い、とささやいて回すと、また18番です。ダービーも逃げ切って二冠。その夜は、嶋田功の話にならい、1人で和室に布団を敷いて寝ました。
大西直宏(おおにし なおひろ・1961年9月14日生まれ)は、東京都葛飾区出身の元騎手です。1980年に美浦・中尾銑治厩舎からデビューし、初年度は9勝で民放競馬記者クラブ賞を受賞。1987年にはサニースワローで東京優駿に初騎乗し、24頭中22番人気で2着に入りました。フリーに転向した1991年は初めて1勝に終わるなど、マスメディアでは「忘れられた騎手」とまで報じられています。1996年には調教師試験の受験まで考えましたが、同年からはサニースワローを叔父に持つサニーブライアンの手綱を全レースで取ることになりました。1997年の皐月賞は大西が抽選会に自ら出向き、抽選機を「大外18番が出てくれ」と祈るような気持ちで回したところ18番の玉が出て、11番人気で逃げ切り勝ち。重賞勝利はアラブ大賞典(秋)以来14年4か月ぶりでした。東京優駿の枠順抽選会でも抽選機を回して18番を引き、2度続けて「18」を引く確率は324分の1でした。ダービーでも6番人気の低評価を覆して逃げ切り、18年目でのダービー初制覇を果たしています。2000年にはマイネルコンバットでジャパンダートダービーを制し、日本における芝とダートのダービー相当競走を共に制覇した史上初の騎手となりました。2004年にはカルストンライトオでスプリンターズステークスを4馬身差で制覇。2006年12月17日付で現役を引退し、2009年からは国際馬事学校で講師兼任の学校長を務め、2012年2月からは美浦トレセン郊外にある育成牧場「NOレーシングステーブル」の経営にも着手しました。出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/大西直宏
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