【雪村いづみ・原田忠幸】恋と結婚、46年 ― 失ったものと、残ったもの
雪村いづみさん、2度目の夫・バリトンサックス奏者の原田忠幸さん、そして9歳年下の俳優・飯野おさみさん。1967年のリノの結婚式から、2013年、76歳と76歳の録音室まで。
雪村さんは6年間、夫と恋人の、どちらも手放しませんでした。そして1978年、その両方が、同時に終わりました。
1966年9月、全財産をジャックさんに差し出したいづみさんは、4歳のマリアさんと原田さんを連れて、アメリカへ渡ります。翌年1月、ネバダ州リノのチャペル。準備は何もなく、あったのは、その場にいた人たちだけでした。「大感激でした」と、原田さんは振り返っています。
ラスベガスに豪邸を建て、4年間、全米を巡業。原田さんは永住権を取りました。しかし雪村さんの事務所から帰国要請が続き、原田さんは数年後、その永住権を放棄します。「断腸の思いでしたね」。
1972年、東京、日生劇場。35歳のいづみさんは、劇団四季『アプローズ』のオーディションを受けました。同じ舞台で出会ったのが、25歳の飯野おさみさん。元ジャニーズの、初代メンバーでした。
いづみさんは飯野さんと暮らし始めます。籍は入れませんでした。戸籍の上では、まだ原田さんの妻だったのです。夫の家とは別の家で、9歳年下の恋人との、もう一つの暮らし。
1970年代の終わり、原田さんと協議離婚。同じころ、飯野さんとの暮らしにも、終わりが来たと伝えられています。なぜだったのか、2人とも語っていません。
評伝には、雪村さんの言葉として、こう記されています。「もっと好きな人があらわれただけ」。
1979年、17歳の朝比奈マリアさんがデビュー。B面の作曲者は、原田忠幸さん。
1985年、マリアさんの結婚式。原田さんは招待を断りました。「自分は、出る筋合いではない」。それでも、当日、原田さんは披露宴の席にいました。
2010年、原田さんは自分の半生を語る記事に、一枚の写真を差し出しています。「1967年 雪村いづみとの結婚パーティー」。
2013年4月、雪村さんの芸能生活60周年アルバム『想い出のワルツ』。演奏者の欄に、バリトンサックス、原田忠幸。リノから46年、2人とも76歳でした。
2008年、71歳のいづみさんは笑いながら語っています。「私、結婚は2回しかしてないですけど、恋愛はたくさんしました。その方々とは、今でもお付き合いがあるの」。
そして60周年のインタビューでは、こう言いました。「恋は一番くたびれちゃう」。
雪村いづみさん、原田忠幸さん、飯野おさみさんの思い出がありましたら、ぜひコメントでお聞かせください。
※本動画は、下記の公開資料・ご本人および関係者のインタビューに基づいて構成しています。飯野おさみさんとの別れの理由については、ご本人方が語っておらず、本動画も断定していません。
【主な参考資料】
・TONTON club Vol.21 ― 原田忠幸さん インタビュー(2010年、写真はご本人提供)
・日刊ゲンダイ「昭和スター千一夜物語」雪村いづみ 第15回・第16回(中野信行、2025年1月)
・Musicman「日々、懸命に歌い続けて」雪村いづみ インタビュー(2014年)
・使ってヨカッタ 記念インタビュー ― 雪村いづみ(2008年)
・雪村いづみ『虹になりたい ― 歌の道一筋に生きる』潮出版社(1998年)
・大下英治『雪村いづみ物語』平凡社新書(2008年)
・週刊明星 1972年9月10日号 ― 江利チエミ×雪村いづみ 対談
・劇団四季「ラ・アルプ」2025年7月号 ― 飯野おさみさん
・日本コロムビア 公式 ― 『想い出のワルツ』(COCB-53835)演奏者クレジット
・デイリースポーツ 2013年10月19日「76歳・雪村いづみ 現役続行宣言」
・テレビ朝日「徹子の部屋」2012年9月5日放送
・ウィキペディア「雪村いづみ」「原田忠幸」「飯野おさみ」「朝比奈マリア」
#時代を生きた声 #雪村いづみ #原田忠幸 #三人娘 #昭和歌謡

2件のコメント
日本に帰国した当時に、料理雑誌に(アメリカでよく作っていたパンプキンパイ)を紹介。
パイを自宅で、と言うのがまだ珍しかった頃、とても興味深かったです。ター坊のステージ衣装も、買えない時は私が縫ったのよ、と、男性に尽くす方なのですね。
デビュー当時はパリ好きな「それいゆ」の中原淳一さんのファッションが似合っていたが、アメリカに行って後のモードはヨーロッパというよりも、アメリカンでしたね。
細い体で、ものすごいバイタリティの方、美しく育った娘さんは、人生の宝物ですね。
すごい人