今野照夫さんの震災日記 3月26日<上>
今野照夫さんは東京在住のいとこに電話し、同僚と自分のために中古車を2台頼んだ。石巻市北上総合支所の駐車場にあった職員の車はひとつ残らず津波で流されていた。
明け方に雪が降り、屋根や木々にうっすら積もった(2011年3月26日、北上町十三浜で)=石巻市/東日本大震災アーカイブ宮城
この日は遠方からの来訪もあった。山形大学教授の伊藤清郎さんが、食料や毛布、衣類などを段ボールに詰めて山形市の自宅から車で来てくれた。
日本中世史が専門の伊藤さんは石巻市河北町の生まれで、隣の北上町にも縁がある。2005年に刊行した旧北上町史で編さん委員を引き受け、「中世」の章を執筆した。このとき役場で町史づくりを仕切っていた係長が、同じ石巻高校卒で一回り下の後輩になる今野さんだった。
97歳の母が入る介護施設も北上にあり、早く駆けつけたかったが、山形でもガソリン不足は深刻だった。伊藤さんは地元のスタンドに何度も並び、ようやく往復分を給油できた。
旧知の先生の思いがけない訪問を今野さんは喜んだ。発生当日から今までのことを話し、町史編さんで収集した資料やデータが全て流失してしまったことを伝えた。
伊藤さんが強烈に印象に残っていることがある。
今野さんら災害対策支部の人たちも、避難所で会う住民も、どこか気分が高揚しているように見えた。にぎやかに言葉を交わし、あちこちで笑い声が飛ぶ。
それでいて、どの顔もひどく土気色だった。
震災後すぐ日常を取り戻した山形から訪れたから余計にそう感じたのかもしれない。北上の人たちはみんな必死で生きている。そして、ふと緊張が解けた瞬間、ぱったりと倒れそうな危うさがある。伊藤さんにはそう映った。

この訪問から1週間後の4月2日。北上の災害対策支部に学用品の支援物資が届いた。まもなく授業を再開できそうだという今野さんの言葉を覚えていて、橋浦小学校の児童向けに伊藤さんが手配したものだった。
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連載「今野照夫さんの震災日記」は宮城版のシリーズです。過去回は読売新聞オンラインで読めます。
2011年、東日本大震災の津波が宮城県の石巻市北上総合支所をのみ込み、職員や避難した住民57人のうち54人が犠牲となりました。支所の地域振興課補佐だった今野照夫さんも外に投げ出され、2時間漂流したのちに生還。翌日から始まった災害対応を、420日間にわたり克明に記録し続けました。
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