2003年、ジュネーブに現れた見慣れないSUBARU
2003年3月、スイスで開催された第73回ジュネーブモーターショー。富士重工業(現SUBARU)は、新しいコンセプトカー「B11S」を世界初公開した。
まず目を引くのが、フロントマスクだ。
中央に大きな開口部を設け、その左右に翼を広げたようなグリルを配置した、独特の3分割デザインである。従来のスバル車とは明らかに違う顔つきだった。
ボディは低く伸びやかな4ドアクーペ。大きなホイールを備え、長いノーズからキャビン、短いリヤデッキへとつながるプロポーションは、上級グランドツアラーを思わせる。
しかも、搭載するのは水平対向6気筒ツインターボエンジン。駆動方式はAWDだ。
スバルはこのクルマを「Gran Utility Turismo」と呼んだ。グランドツアラーの走行性能と快適性、そして実用性を融合した、新しいクルマの提案だったのである。
SUBARU B11S
アルシオーネSVXから12年。再び描かれた水平対向6気筒の高級GT
ジウジアーロがデザインしたスバルアルシオーネSVX。SVXとは、「Subaru Vehicle X」の意味だ。
B11Sのパッケージングを見て思い出すのが、1991年に登場したアルシオーネSVXである。
1985年に登場した初代アルシオーネの後継モデルにあたるSVXは、イタルデザインのジョルジェット・ジウジアーロ氏がデザイン原案を手がけたスペシャルティクーペだった。
特徴的なキャノピー状のグラスエリア、滑らかなボディライン、そして水平対向6気筒エンジンとAWD。当時のスバルが持てる技術を投入し、上級グランドツアラーという領域に挑戦したモデルである。
その12年後に登場したB11Sも、水平対向6気筒エンジンとAWDを核にした高性能GTだった。
3.3L水平対向6気筒エンジンを搭載したSVX
もちろん、両車の性格は異なる。
SVXは2ドアクーペの量産車だったのに対し、B11Sは4ドアのコンセプトカーである。B11SがSVXの後継車として開発されたという公式な説明も確認できない。
上がSVX、下がB11S
それでも、SUBARUが再び水平対向6気筒を使って、スポーティで上質なGTを提案したことは興味深い。
そしてもうひとつ、両車には共通点がある。デザインに欧州のスタジオが関わっていたことである。
B11Sをデザインしたのは、Fuoreのヒンメル氏
SVXのデザイン原案を手がけたのは、イタリアのイタルデザインだった。
一方、B11Sのデザイン開発を担当したのは、スペイン・バルセロナに拠点を置くFuore Design Internationalである。
B11Sのデザインスケッチ。かなり「航空機」を意識したフロントグリルデザインが描かれている。
デザイナーは、同社を率いていたエルヴィン・レオ・ヒンメル氏(Erwin Leo Himmel)だった。ヒンメル氏はオーストリア出身のデザイナーで、アウディなどで経験を積んだ人物である。
当時のSUBARUは、デザイン部門の改革を進めていた。
2000年代初頭には、アルファロメオなどでの経験を持つアンドレアス・ザパティナス氏もSUBARUに加わっている。
そのため、B11Sの独特なフロントデザインについて、ザパティナス氏がアルファロメオの盾形グリルから着想を得たのではないか、という見方もあった。
しかし、B11Sのデザイン開発はFuoreが担当し、スプレッドウイングスの発案者もヒンメル氏だったという。ザパティナス氏がB11Sのデザイン開発に関わったわけではない、というのが関係者の説明である。
では、なぜSUBARUは欧州のデザイン力を取り入れようとしていたのだろうか。
当時のSUBARUは、現在よりも欧州市場での事業拡大に積極的だった。
2000年代前半には欧州販売体制の強化を進め、2005年の年次報告書では欧州を販売事業の「第3の柱」と位置づけ、年間10万台規模への拡大を目標としていた。
B11Sがジュネーブで世界初公開されたことも、こうした時代背景と無関係ではないだろう。ただし、B11Sが欧州市場専用の量産車として企画されたことを示す資料は確認できない。
欧州のデザイン文化を取り入れながら、SUBARUというブランドそのものを新しい段階へ引き上げようとしていた。B11Sには、そんな当時のスバルの姿勢が表れていたように思える。
SUBARU B11S
スプレッドウイングスは、航空機の胴体と翼だった
B11Sのフロントグリル。上のデザインスケッチと見比べてほしい。
B11Sのデザインで最も重要なのは、やはりフロントマスクだ。中央の大きな開口部と、その左右に広がるふたつのグリル。スプレッドウイングスと呼ばれるこのデザインは、航空機の胴体と左右の翼を模式化したものだった。
そのアイデアを生み出したのは、B11SのデザイナーであるFuoreのヒンメル氏である。
スバルのルーツは、中島飛行機にさかのぼる。航空機メーカーとしての歴史を、フロントマスクの形状によって直接表現しようとしたのである。
従来のSUBARU車は、水平対向エンジンやAWDといった技術的な特徴によって、他社との差別化を図ってきた。
しかし、どの車種を見ても「SUBARU」とわかる共通の外観上の特徴は、必ずしも明確ではなかった。
そこで、ブランドを象徴する共通の「顔」をつくろうとした。B11Sは、その新しいデザインアイデンティティを提案する重要なコンセプトカーだったのである。
B9スクランブラー、R1、R2、そしてB9トライベッカへ
B11Sが登場した2003年、SUBARUは東京モーターショーでも新しいコンセプトカーを発表した。
「B9スクランブラー」である。
B9スクランブラー



B11Sが4ドアのグランドツアラーだったのに対し、B9スクランブラーは2ドアのオープンモデル。SUV的な要素も取り入れたクロスオーバータイプのスポーツカーだった。
車両コンセプトはまったく異なる。しかし、フロントマスクにはB11Sと共通する3分割グリルが採用されていた。
つまり、スプレッドウイングスグリルは、特定の車種だけのデザインではなかった。
高性能GTにも、オープンスポーツにも共通して使うことのできる、SUBARUブランドの新しい顔として構想されていたのである。その後、このデザインは量産車にも展開された。
SUBARU R2
SUBARU R1
SUBARU B9トライベッカ
マイナーチェンジでスプレッドウイングスグリルとなった2代目インプレッサ。
2003年に登場した軽自動車のR2、2005年のR1、そして北米市場向けの3列シートSUV「B9トライベッカ」である。さらに、2代目インプレッサのマイナーチェンジでも、スプレッドウイングスの意匠が採用された。
軽自動車からSUV、スポーツモデルまで、幅広い車種に同じデザイン要素を展開したのである。
なお、R1、R2、トライベッカについても、ヒンメル氏がデザインを手がけたという証言がある。
しかし、スプレッドウイングスは市場に受け入れられなかった
オリジナルのB9トライベッカのフロント。
デザイン変更を受けたB9トライベッカ(PHOTOは2010年モデル)
スプレッドウイングスグリルは、長く続かなかった。
B9トライベッカは、2007年の改良でフロントマスクを大幅に変更することになる。中央に大きな開口部を設けた特徴的な3分割グリルは姿を消し、より一般的なSUVに近いフロントデザインへと改められた。
R1、R2、インプレッサについても、このデザインが長期にわたって継承されることはなかった。
当時の北米メディアでは、トライベッカのデザインに対する消費者の評価が大きく分かれていたことが報じられている。販売台数も当初の計画を下回っていた。
関係者によれば、スプレッドウイングスに対する市場の反応は非常に厳しかったという。
もちろん、トライベッカの販売不振をすべてフロントデザインのせいにすることはできない。商品性、価格、競合車との関係など、さまざまな要因があったはずだ。
それでも、ブランドの象徴として導入したフロントデザインが、短期間で大幅に変更された事実は重い。
スプレッドウイングスグリルは、SUBARUの新しいブランドアイデンティティとして量産車に採用されたものの、市場に広く受け入れられ、定着するには至らなかったのである。
実は2003年、もうひとつの「SUBARUの顔」が生まれていた
大ヒットした4代目レガシィのフロント。
ここで、もう一度2003年に戻ってみたい。B11Sが発表された2003年、SUBARUはもう1台、重要な新型車を発表している。
4代目レガシィである。
このレガシィは、日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞し、海外でもデザインが高く評価されたモデルだった。
そして、そのフロントマスクには、B11Sとはまったく異なるデザインが採用されていた。
六角形のグリルである。
中央には六連星のエンブレムが置かれ、その左右にめっきのバーが伸びている。現在のSUBARU車に通じる、ヘキサゴングリルの基本的な構成が、すでに存在していたのである。
つまり、2003年のSUBARUには、ふたつの異なるデザインの方向性が存在していた。
ひとつは、B11Sで提案されたスプレッドウイングスグリル。
もうひとつは、4代目レガシィに採用された六角形のグリルである。
前者は航空機の胴体と翼を象徴的に表現したものだった。後者は、量産車として市場で評価されたデザインだった。
そして、その後のSUBARUがブランド共通の顔として発展させていったのは、後者だったのである。
難波治氏が選んだのは、4代目レガシィのグリルだった
その後、SUBARUのデザイン改革を主導したのが、難波治氏である。ご存知、現在はCar Styling誌の編集長を務めている。
難波氏は2005年からデザインコンサルタントとしてSUBARUに関わり、2008年にはデザイン部門の責任者となった。
難波氏は、SUBARUのブランドデザインを統一するにあたり、ヘキサゴングリルを採用した。その原点にあったのは、4代目レガシィのフロントデザインだったという。

4代目レガシィは、日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞し、世界的にも高いデザイン評価を得ていた。六角形のグリルを中央に置き、その中心に六連星のエンブレムを据え、左右にメッキのバーを伸ばす。
難波氏は、この構成をSUBARUのブランド共通のデザインとして発展させようとしたのである。
それは、まったく新しいデザイン要素を外から持ち込むという発想ではなかった。SUBARUがすでに生み出し、市場でも評価され、スバルのユーザーの心に一番深く印象付けられていたデザインを原点に、ブランドアイデンティティを再構築する試みだった。
六角形に込められた、もうひとつの意味
では、なぜ六角形だったのだろうか。
ここにも、スプレッドウイングスとは異なる考え方がある。
スプレッドウイングスは、航空機の胴体と翼を形によって表現したデザインだった。
一方、難波氏が重視したのは、航空機の形そのものではなかった。
SUBARUのエンブレムである六連星に込められた意味である。
戦後、旧中島飛行機を源流とする企業は分割され、その後、再び集まって富士重工業が誕生した。六連星のエンブレムには、分かれていた企業がひとつになり、力を合わせて進んでいくという思いが込められている。
難波氏は、その「6」という数字と、六連星に込められた人々の思いを、SUBARUのデザインアイデンティティの中心に据えようとした。
そして、ヘキサゴングリルは単なる六角形のグラフィックではない。六つの頂点から車体後方へと造形を展開していく、立体的なデザインの出発点でもあった。
つまり、フロントマスクにブランドの象徴を配置するだけではなく、その形状をボディ全体の造形へとつなげていく考え方である。
ここに、スプレッドウイングスとの本質的な違いがある。
航空機の歴史を象徴的な造形で表現するのか。
それとも、SUBARUという会社の成り立ちと、そこで働く人々の思いを起点に、クルマ全体のデザインを構築するのか。
両者は、ブランドアイデンティティに対する異なるアプローチだったのである。
スプレッドウイングスからヘキサゴンへ。それは単なる変更ではなかった
2010年のIMPREZA Concept
2010年のインプレッサコンセプトについて、SUBARUは公式発表で「スプレッドウイングを中央に配置したヘキサゴングリル」という表現を用いている。
この説明だけを読むと、スプレッドウイングスからヘキサゴングリルへ、デザイン思想がそのまま継承されたようにも見える。
しかし、難波氏がヘキサゴングリルの原点としたのは、4代目レガシィのフロントデザインだった。

スプレッドウイングスの航空機モチーフを発展させたというより、SUBARUの歴代車に存在していた造形を再評価し、ブランドの共通言語として発展させたのである。
もちろん、SUBARUのデザイン開発が、ある時点で完全に断絶したわけではない。
ブランドの歴史や既存のデザイン要素を受け継ぎながら、新しい表現を模索する過程があった。
しかし、B11Sのスプレッドウイングスと、難波氏が確立したヘキサゴングリルを、同じ思想の延長線上にあるものとして単純に結びつけることはできない。
その背景には、ブランドの顔をどのように考えるかという、デザイン哲学の違いがあったのである。
B11Sは、結局どうなったのか?
SUBARU B11S
2003年に発表されたB11Sは、その姿のまま量産車になることはなかった。
水平対向6気筒ツインターボエンジンを搭載した4ドアの高性能GTという車両コンセプトも、直接的な後継モデルには結びつかなかった。
しかし、B11Sが提案したものは、それだけではない。新しいSUBARUの顔である。
Fuoreのヒンメル氏がデザインしたスプレッドウイングスグリルは、B9スクランブラー、R1、R2、インプレッサ、B9トライベッカへと展開された。
それは、SUBARUが車種を横断する共通のデザインアイデンティティを確立しようとした、大胆な挑戦だった。しかし、そのデザインは市場に定着せず、短期間で姿を消していった。
一方、同じ2003年に登場した4代目レガシィには、別の可能性が存在していた。六角形のグリルである。
その後、難波治氏は4代目レガシィのグリルを原点に、SUBARUの新しいブランドデザインを構築していった。
SUBARU B11S
2009年のハイブリッドツアラー・コンセプト
航空機の形を直接表現するのではなく、六連星に込められたSUBARUの歴史と人々の思いを大切にしながら、クルマ全体の造形へと発展させていったのである。
こうして振り返ると、2003年のSUBARUは、ブランドの未来を模索する重要な転換点にあったことがわかる。
B11Sは、その時代の挑戦を象徴するコンセプトカーだった。
そして、その後のSUBARUが選んだ道は、B11Sが提案したものとは異なっていた。
B11Sは量産車にはならなかった。しかし、B11Sが提示したスプレッドウイングスの挑戦と挫折を振り返ることで、現在のSUBARUのデザインアイデンティティが、どのような選択を経て確立されたのかが見えてくる。
「あのコンセプトカー、どうなった?」
B11Sの場合、その答えは、クルマそのものの行方だけでなく、SUBARUの「顔」がたどった歴史のなかにあったのである。
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連載 あのコンセプトカー、どうなった?
